もはや語る必要もないと思われる、東北関東大震災。この影響で、東京電力のサービス提供地域では計画停電が実施されています。いちおう概要を説明すると、東京電力管内をいくつかのグループに分け、それぞれのグループについて特定の時間帯で停電を行うというものです。この計画停電により、100万を超える世帯において一時的な停電が発生しています。
政府は計画停電の実施について国民に説明をし、協力を求めました。今回の震災は史上最大規模のものでしたから、この要請は受け容れやすいものだったと思われます。国民(主に関東)は、この国難を乗り切るため、何かの協力ができればと考えて計画停電を受け容れたに違いありません。
国民が一丸となって国難に立ち向かう。実に美しい光景であり、それを実行できる日本国民は素晴らしい精神を持っていると思います。
しかし、です。
計画停電が実施されてみると、「ハテナ?」と首をひねってしまうことばかりです。まず、①東京23区の大部分は停電の対象外となっていること。また、②グループ内でも停電になるところとならないところが分かれていること。さらに、③電車など公共機関や、被災地まで停電になってしまったこと。
③は東京電力の事務ミスでしょう。日頃から何も備えていなかったということが露呈してしまいました。いまこれを責めても何にもなりませんが、東京電力の危機管理体制の甘さには呆れるばかりです。民間とはいえ、公共的事業を請け負っているという自覚が足りないのではないでしょうか。こういうものは、利益に直接的に結びつくものではありませんから、トップが意識しなければ達成できません。現在の東京電力経営陣が、どれだけ利己主義に走っていたかというのが分かるというものです。今回の事態が落ち着いたら、株主代表訴訟で全責任を追及し、破産に至らせるのが相応しい末路だと思いますね。
①②については、おそらく、電力が止まってしまうと市民生活に影響が大きすぎる地域もあるという考慮があるのでしょう。特に、東京23区(の大半)で停電すると、企業活動が完全にストップしてしまうことになりかねず、とてつもない被害が生じてしまいます。計画停電は特定の時間帯に「停電するかもしれない」という制度です。このような不確定な状況において、事業を継続することは無理というものです。停電を前提に活動すればいいではないか、と反論する人もいるでしょうが、実際に自分でやってみてください。ちょっと考えただけで、不確定な事象を前提に事業活動を行うことは難しく、結局は事業中断を余儀なくされるということが分かると思います。
さて、このような計画停電が必要とされるのは、電力の供給と需要のバランスが崩れており、需要過多(供給不足)になっているためです。すぐに供給を増やすことはできませんが、需要を減らすことはできます。そこで、家庭の電力需要を減らしてもらおうということになり、それでも足りなければ強制的に供給を切って需要をゼロにしてしまおうということになります。
ところで、一般論として、このような削減措置を採るとき、どのような方向性を採るべきでしょうか。これは実際の削減措置から考える、いわば戦術的な側面と、効率性から考える、いわば戦略的な側面から検討すればよいものと思います。最初の方向性は、削減しやすいところから削減するというものです。これを今回の計画停電にあてはめると、家庭と企業では、おそらく家庭の方が節電をしやすいのだろうと思います。家庭はせいぜい数人単位の共同体ですから、意思の統一が図りやすく、確実な節電が期待できます。次の方向性は、需要の大半を占めているところから削減するというものです。占める割合の大きなところが(足並み揃えて)需要を削減すれば、その効果はとても大きなものとなります。これら二つの方向性は、実際の場面は千差万別ですので、どちらかとればよいというわけではなく、需要の構造など諸般の事情を総合的に考慮して、それぞれの事情に応じて個別的・具体的に判断しなければならないものと考えられます。
電力需要の構造を考えると、東京電力全体の供給に対して、家庭など小口は四分の一にも満たない程度であるのに対し、電灯や大口需要は半分以上を占めています(参照:数表でみる東京電力)。これを考えると、削減しやすいという家庭において節電をしても、劇的な効果はあがらないということになります。また、大口需要において節電をすれば、小口は従来どおりの需要を維持できるということになります。
これを踏まえると、はたして、①②が生じてしまったのは仕方ないと割り切れることなのか、疑問が生じます。企業などの大口需要において節電を徹底すれば、家庭などの小口需要については制限する必要がなく、計画停電をする必要はなかったのではないかとも考えられるのです。もっとも、そのような措置が「事務的」「物理的」にできるのかは関係者でもないため分かりませんので、もしかすると、そもそもできなかったのかもしれません。しかし、政府の要請に応じて電車については電力供給を確保したことから考えると、きめ細かい対応も不可能ではなく、それを行わないのは単なる怠慢であることが推測されますね。
では、はたして東京電力がそのような措置をとるのか、というと、あまり期待はできません。これも推測になってしまいますが、東京電力は収益確保のために大口需要の顧客を大切にしようと思っているのではないでしょうか。家庭のような小口はたいした収益になりませんが、とてつもない電力を使う企業は、まとまった収益をあげることができる「お得意様」です。東京電力も民間企業かつ株式会社であり、営利団体であることを考えれば、計画停電において優先度の低い小口向けに電力供給をストップすることは、「企業としては」合理的な行動であると評価できます。
しかし、忘れてはならないのは、東京電力は電力供給という、きわめて公益性の高い事業を営んでいることです。それは、電気事業法の制定からもいえることと思います。一条で、「この法律は、電気事業の運営を適正かつ合理的ならしめることによつて、電気の使用者の利益を保護し、及び電気事業の健全な発達を図るとともに、電気工作物の工事、維持及び運用を規制することによつて、公共の安全を確保し、及び環境の保全を図ることを目的とする。」と掲げ、電気利用者の利益や公共の安全も保護対象となっていることを明らかにしています(これはあくまで目的規定ですが)。すると、東京電力は、単純に営利目的で動いてはならず、利用者の利益を十分に考えなければならないということになります。はたして、大口需要者に電力を完全供給することと、いくぶんか減らして小口需要者の需要を満たすことと、どちらが優先されるべきでしょうか。確かに、経済活動が停滞し、日本経済の立ち直りが遅れることも考えられるので、大口需要者を優先すべきとも考えられます。しかし、家庭など小口需要にすべてのしわ寄せを押し付けるのが、はたして妥当なのでしょうか? 停電になると、暖房器具を使うことはできません。食事を作ることもできません。夜には手元を見ることもできません。テレビやパソコンが使えないので、情報を仕入れることもできません。高齢者や病人のいるところでは、さらに不便になるでしょう。これが数世帯ならばまだしも、100万世帯の規模に及ぶというのです。大口需要者も、すべての電力が余すところなく完全に有効に使われているというわけではないでしょう。どこかに削減の余地はあるはずです。そして、東京電力は、供給量の削減を求めることができるはずです。震災による非常事態ですので、契約違反で責められることはないでしょう。もし責められるのであれば、大口需要者は供給不足に対して抗議できるのに、小口需要者は抗議できないということになってしまい、明らかに不平等です。そのような差別は、この日本において許容できるものではないと思います(事実上ではなく法律上の話です)。
さらに言えば、政府には東京電力に対して業務改善命令などの監督権を有しています(電気事業法30条など)。もし政府が「一般家庭への電力供給を優先すべきだ」と思うのであれば、その監督権を行使して是正措置をとることができるはずです。これをやらないのは、ひとつには、東京電力の裁量に委ねて過剰な介入を避けていること、そしてもうひとつには、企業に対する配慮というものがあるのだと感じています(具体的根拠があるわけではありません…)。
政府は一民間企業である東京電力に、なるべく介入しないことが求められます(営業の自由の侵害になってしまう)。しかし、いまは非常事態です。そんな悠長なことを言っていてよい場合ではありません。菅総理は、国民が力を合わして等々言っていたと思いますが、それは国民が自主的に動いてくださいという内容だったのでしょうか。もしそうだとすれば、いまの内閣は、大震災という緊急事態にすら動かない、投げっぱなし行政だということになります。リーダーシップを発揮し、グイグイと社会を引っ張っていくべきであり、それこそが国民に求められる内閣像であり(いまさら前近代的な夜警国家を求める人はいないでしょう…)、適切な監督権を発動すべきときだと思います。
また、民主党など、いまの政権は企業団体など組織の後ろ盾が大きく、選挙ではそれらの組織票が大部分を占めているものと思われます(これも具体的データはありませんが投票率の低下をみれば無所属一般庶民の支持がどんどん少なくなっていることは推測されます)。これを前提とすれば、いまの国会議員(議院内閣制なので内閣も)は選挙のことしか考えていないらしいですから、庶民よりも企業の方を向いてしまうのは当然です。すると、東京電力に対する指導も「企業を怒らせないように、一般庶民に対処してくれ」という方向のものにならざるを得ません。企業を怒らせてしまったら、自分たちの政党基盤がなくなってしまうからです。決して表には出さないでしょうが(出たら出たで面白いことになりますねえ)、そのような制約が、ありとあらゆるところに存在していると思います。すると、計画停電を行うにしても、家庭向けを止めるのは自由にやってくれということになってしまいます。それでいいのでしょうか? わたしは、そうは思いませんが、仕方のないことだと思います。すべては、そのような議員を選んでしまった国民の責任なのです。組織票に頼らない、一般庶民の支持による議員が選出されていれば、今度は国民の信頼を失わないために、頑張って庶民寄りの指揮権を発動したことでしょう。そのときは、今度は、企業から文句が出るだけです。
以上述べたとおり、わたしは東京電力の計画停電について、家庭ばかりに忍耐を押しつけるのは間違っていることだと思います。また、内閣や国会には、企業などに対する適切な指導を行い、場合によっては強制を行うべきだと思います。その具体的方法としてもいろいろ考えられるのですが、今回はここで止めておきます(長くなって疲れましたし…)。