ボランティアはこのままでいいのか?

ニュースを見ていたら、ボランティア活動が紹介されていました。東日本大震災による大きな被害を受けた地域で、多数のボランティアが復興活動をしているとのことです。何の報酬も得られないというのに、一生懸命に活動している方々が多数いるということは、素晴らしいことだと思います。

ところで、ボランティアは自己完結型でなければならないと言われています。すなわち、衣食住すべてにおいてボランティア側が自分で用意しなければならず、現地に負担をかけてはならないというのです。確かに、救援に行った人たちのせいで被災地の人々に物資が行き渡らない、居住場所がなくなる、というのでは、本末転倒です。

しかし、これを徹底すると、ボランティアの希望者が制限されてしまうことになり、かえって復興の妨げになるのではないかという気がしてなりません。かといって、ボランティアを求める側に負担を求めるのでは、今度はボランティアの精神から外れることになってしまうので、これまた妥当とはいえません。

おそらく、事案や規模によるのだと思います。万博やオリンピックなど、いろいろな大規模イベントにおいてもボランティアは募集されますが、これはやることも大体決まっており、また、都市機能が正常に動いている中で行われるものですから、すべてをボランティア自身に求めても問題ないといえます。また、イベント期間が限られており、活動時間も定まっていることから、ある程度はボランティア側に負担がのしかかっても問題ないでしょう。しかし、大地震などの災害においては、何をすればよいか明確に定まっているわけでなく、都市機能は壊滅的被害を受けており、活動期間は青天井です。このような状況においてもなお、ボランティアにすべてを負担させてよいものでしょうか。

個人的には、複数階層のボランティアが必要だと感じています。力仕事など、直接的な活動をするボランティア、その食事や休憩場所などを提供する後方支援のボランティア、さらにその補給ルートを確保するボランティア、などなど。これらが一体として活動することにより、強力な行動力を提供できるのではないかと思います。聞けば、いま被災地で活動しているボランティアは、車の中で休み、パンやおにぎり程度の食料しかないといいます。力仕事をし、専門的技能を提供する方々がそれでは、十二分に力を発揮することなど望めません。都市機能が完全な状態であればどうにでもなるのでしょうが、被災地は都市機能が失われている状態にあります。そんな中で、ボランティアに自分自身の完全なケアを求めることなど、到底望めないのではないでしょうか。また、それを備えた人だけが活動できるとするのでは、いったいどれだけの人が活動できるのでしょう。

ボランティアは無償の精神を旨とするものだから、そこに金銭など対価を関わらせるのは御法度、触れてはいけない、というタブー的なものがあるように思います。わたしはそれは間違っており、たとえボランティアであっても、需要と供給のバランスを図らなければ、足りない部分は個人の意思で補うしかなく、余計な力をとられることになり機能不全を起こしてしまうと思っています。無駄を省き、投入したエネルギーをできるだけ多く目的とする活動に反映させること、これは当然のことではないでしょうか。

日本赤十字は被災地への支援を行う団体ですが、ボランティアの統括という事業も行うようにすればいいのにと思います。個人が単独でどうにかできる規模のものではないのですから、受け入れ窓口を一本化し、効率的に行動すべきだと思うのですけれどねえ。

そのような団体をボランティアの精神で立ち上げる人が出てくれば、それが最も望ましいことではありますが…。

One thought on “ボランティアはこのままでいいのか?

  1. ニフティ25周年記念サイトをきっかけでふと検索をしはじめて、ここにたどり着きました。
    おぼえていらっしゃいますでしょうか、高校~大学時代にお世話になった、のぶです。
    こちらはいつの間にか、一児の父親になってます。
    また、お手数でなければよければ連絡先でも教えていただければ嬉しいのですが。
    では。

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