死刑制度の是非

マジソンズ博物館」というサイトは、ちょっと悪趣味とも思えるような記事を多数掲載しています。そういう悪趣味なことは大好きなので、よく読んでいるのですが(笑)、「殺人博物館~冤罪」というページの記事には、ちょっと考えさせられるものがありました。

1950年代、イギリスで「クレイグ&ベントレー」という殺人事件がありました。銃撃戦の末に、窃盗をしようとした者たちが警官を撃ち殺してしまったというもので、犯人のクレイグは無期拘禁、同じく犯人のベントレーは死刑になっています。

これだけなら、それも仕方ないかと思ってしまいますが、次のような事情が加わったとき、どう感じるでしょうか。

  • 実際に警官を撃ったのは、クレイグです。ベントレーの言葉(Let him have it, Chris.)に従って撃ったものとされています。
  • クレイグは16歳で、死刑にするには若すぎ、一方のベントレーは19歳で、死刑にすることができます。
  • クレイグは「町のチンピラ」で、ベントレーは先天的な障害があったものと思われ、知能は低かったといいます。
  • 当時、青少年犯罪が急増しており、何らかの対策を打つ必要がありました。
  • 二人は現場の状況を全く憶えておらず(頭に血が上っていたため)、事件当時の状況はすべて警官の供述に基づくものです。
  • 事件当時、向かいの建物には警察の狙撃手が待機していました。撃ち殺された警官は、「弾丸は額に命中して頭蓋骨を貫通」しています。クレイグが使っていた拳銃は、「おんぼろの骨董品」でした。

真相は分かりません。しかし、この結論はどうにもおかしいだろう、というのが世論だったようです。そして、この事件を契機に死刑廃止の声が高まって、死刑廃止法案が下院で可決されたといいます(本当にそうなのかは不明…インターネット上ではこれを裏付けるような別の情報源は見つけられませんでした。ベントレー事件としての記事はWikipeida上にあります)。

おそらく、青少年犯罪の増加に対処するため、青少年犯罪には厳罰をもって臨まなければならないという姿勢があったのではないでしょうか。そして、そのためならば、個人の事由や生命が脅かされてもよい、という観念があったのかもしれません。公共の利益のためならば、知恵遅れの犯罪者などはどう扱ってもよい、というような考えが存在しえないとはいえないでしょう。50年くらい前の話なので、さすがにそれは無い、と信じたいのですけれども…。

真実はともかく、死刑にされた少年は、見せしめのためのスケープゴートにされたのではないかという見方ができるわけです。そして、司法はそれを許容したと見ることができるわけです。

このような暴挙に出る司法を信頼することはできません。人権の最後の砦であるべき裁判所が、社会の利益のためにその役割を放棄してしまうことがあるのでは、国民は安心できないでしょう。いつ自分が標的にされるか分からないのです。とすれば、立法の力をもって、裁判所の力を制約するしかありません。死刑は執行されると取り返しがつきませんから、それを決定するような力を持たせることはやめましょう、というわけです。裁判所は法の適用を司る機関ですから、立法で死刑を廃止されれば、それに従わざるをえません。法を無視して、勝手に死刑判決を出すことはできません(出したとしても執行できない)。

さて、日本でも死刑廃止論が高まっていますが、このような話を見ると、「裁判所が信頼できるかどうか」という点で決まってくるような気がします(英国と日本は司法制度が違うのでそのまま対比はできませんが、基本的な理念は同じ)。検察は証拠捏造で、警察は強引な取調べで、国民の信頼を失いつつありますが(実に悲しいことです)、裁判所はそこまで国民の信頼を失っていないように思います。というか、誰も知らないのかもしれませんね、そのあたり(笑)。検察・警察・裁判所の違いを分かっていない方も多いような気がします。

裁判所がしっかりしていれば、検察や警察が強引なことをしようとしても、特に、社会秩序を守るために個人を犠牲にしようとしている場合でも、それを見抜いて公正な裁判をすることができます。これを信頼できるのであれば、死刑を廃止する必要はないと思います(刑罰として死刑がふさわしいかという点も問題になりますが、最高裁は問題ないといっていますし、個人的にも問題ないと思っています。ここは宗教論争になるので深入りしません)。一方、裁判所が検察の言いなりになったり、独自の社会秩序論を持ち出して個人の人権を蔑ろにするようなことがあるのであれば、裁判所に死刑という道具を持たせるのは不安でたまりませんから、死刑は廃止すべきでしょう。

いまのマスコミの報道などをみていると、検察や警察の問題ばかりが取り上げられており、裁判所が国民の信頼に値するものなのかどうか、という点については、あまり掘り下げられていないように思えます。これが、裁判所は検察や警察の言いなりだから考える必要もない、ということなのか、裁判所がやっていることは専門的すぎてよく分からない、ということなのか、裁判所を問題とすることは間違っている、ということなのか、わたしには分かりませんが…。

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