駐車場の価格競争

先日、駅前を歩いているとき、駐車場の看板が目にとまりました。「価格破壊!3時間100円!」というような内容だったのですが、あたりを見渡すと、付近にもいくつかの駐車場があり、そちらも同内容の価格になっていました。「そりゃ~、隣の駐車場が安かったら同じ価格にするもんなあ。」と思いながら歩いていると、駅に近いところの駐車場は3時間200円だったか、少し高めの料金設定になっていました。しかし、それでも駐車してあります。駅に近いところの方が、やや高くても、利便性をとって選ばれているんじゃないかと推測されます。値段と利便性のバランスにより、妥当性が消費者に認められたので、利用されているのです。「ああ、駐車場も価格競争しているじゃないか。」と、よく分からないけれど、感心しました。

しかし、ここで疑問が生じます。「駐車場市場はどうやって画定するんだろう?」

市場とは何か、というところから問題になるのですが、これを明快に説明している資料が見当たりません。とりあえず、モノやサービスが取引される場、と考えておきます。駐車場ビジネスは、自動車の駐車スペースを提供する代わりに駐車料を徴収するので、モノないしはサービスの取引ということができます。いちおう、駐車場市場というものは観念できるということになります。問題は、その地理的区分です。消費者が代替商品を見つけられないところに競争は生じませんから、商品の競合する範囲に市場が成立します。駐車場は、あればどこでもよいというものではなく、たとえば駅前であれば、駅の近くになければ意味がありません。そのため、「千葉県における駐車場市場」「東京都における駐車場市場」という広域な駐車場市場は観念できないということになります。じゃあ、駅前だけで切ればいいのか? それとも町内で、区内で区切ればいいのか? おそらく、一義的な方法はなく、法令に抵触する行為に応じて市場を画定しなければならないのでしょう。地理的な区分は絶対的なものではないので、市場ありき、ではなく、行為ありき、の考え方にならざるを得ません。

市場については棚上げとなったところで、次の疑問です。「仮にこの付近の駐車場業者が談合して価格を統一したら、不当な取引制限(ハードコア・カルテル)になるのか?」

とりあえず、行為要件(共同行為・相互拘束)は満たされるとしましょう。「C駅周辺の駐車場事業者10名(駅周辺すべての事業者)が、価格競争が激しくなっていること、地価が上昇していることから、駐車料金を一定にする合意をし、実施している。」とでもしておけばいいでしょう。問題は、効果要件です。これを考えるには、市場(一定の取引分野)を画定しなければなりません。駅周辺の駐車場という市場を画定すれば、そこでの価格競争が制限されており、値下げ等が期待できない状況になっているので、競争の実質的制限が生じているといえるでしょう。一部の事業者にとどまる場合は、効果要件を満たさないかもしれません。ただ、それらの一部事業者は駅に近いという有利な場所を確保しており、他の事業者に客が流出しないように極端な値下げをしているというような事情であれば、排除型私的独占に該当するかもしれません。もっとも、駐車場は有限のスペースしか提供できず、どんなに値下げしても他の事業者に客が流出することは防げないこと、それによって他の事業者を排除することが実際にできるのか、という問題もあります。

これに対して、駐車場は駅に向かう人だけ使うのではなく、その周辺の施設に行く人も使うのであり、「駅前の駐車場市場」という画定は誤っているという反論もあるでしょう。事実関係によっては、駅に向かうために駐車している人は実は少なくて、付近住民であったり、駅前の施設に向かう人が多かったりするのかもしれません(駅前の施設なら駅に向かうのと実際上変わりありませんが)。すると、さらに広域、あるいは場所を移した市場を観念しなければならず、そこでは競争の実質的制限は生じていないのかもしれません。

いろいろと考えてみましたが、だから何だと言われると、何でもありませんとしか言えません…(笑)。駐車場のように、地理的状況が強力に影響する事業に関しては、独占禁止法が適用しにくいのかなあ、と思います。だからといって、バリバリ談合してもオッケーですよ、というわけではないですが。しかし、実際には談合しにくいんじゃないかなあ。同じ価格にしても、競争を回避することはできなくて、近くて安い方を利用するだけなので、結局は談合している事業者のうち、弱い立場にある事業者が泣きを見るだけですからねえ。むしろ、取引妨害(不公正な取引方法)や、強要罪、業務妨害罪などの方が問題になりやすいような気がします。

…以上、長ったらしい独り言でした。

KeePass

KeePass Password Safe:

http://keepass.info

今回紹介する「KeePass」は、パスワードを管理するためのソフトウェアです。インターネット上の会員制サイトや、電子メールのアカウントなど、個人が管理しなければならないユーザー名とパスワードは増加の一方です。そのため、同じパスワードを使いたくなるのですが、そうすると、ひとつのパスワードが突破されてしまうと全てのアカウントについてパスワードが突破されることになってしまいます。かといって、それぞれのアカウントに異なるパスワードを設定すると、忘れてしまってログインできなくなることもあります。そこで、これらの情報を安全に管理するためのソフトウェアというものにニーズが生じるわけです。

オープンソースで開発されているため、パスワードなど盗み取るコードが混入していないことを自分で確認できる(もちろん前提知識は必要ですが…)という点が一番の特徴です(だと思っています)。

使い勝手もよく、ひとつの項目に追加的な情報を多数書き込めたり、全体検索機能、メモリ内暗号化によるセキュリティの強化など、さまざまな機能を備えています。また、Firefoxのアドオン「KeeFox」を使うことで、Firefoxとの連携をすることもできます。

ボランティアはこのままでいいのか?

ニュースを見ていたら、ボランティア活動が紹介されていました。東日本大震災による大きな被害を受けた地域で、多数のボランティアが復興活動をしているとのことです。何の報酬も得られないというのに、一生懸命に活動している方々が多数いるということは、素晴らしいことだと思います。

ところで、ボランティアは自己完結型でなければならないと言われています。すなわち、衣食住すべてにおいてボランティア側が自分で用意しなければならず、現地に負担をかけてはならないというのです。確かに、救援に行った人たちのせいで被災地の人々に物資が行き渡らない、居住場所がなくなる、というのでは、本末転倒です。

しかし、これを徹底すると、ボランティアの希望者が制限されてしまうことになり、かえって復興の妨げになるのではないかという気がしてなりません。かといって、ボランティアを求める側に負担を求めるのでは、今度はボランティアの精神から外れることになってしまうので、これまた妥当とはいえません。

おそらく、事案や規模によるのだと思います。万博やオリンピックなど、いろいろな大規模イベントにおいてもボランティアは募集されますが、これはやることも大体決まっており、また、都市機能が正常に動いている中で行われるものですから、すべてをボランティア自身に求めても問題ないといえます。また、イベント期間が限られており、活動時間も定まっていることから、ある程度はボランティア側に負担がのしかかっても問題ないでしょう。しかし、大地震などの災害においては、何をすればよいか明確に定まっているわけでなく、都市機能は壊滅的被害を受けており、活動期間は青天井です。このような状況においてもなお、ボランティアにすべてを負担させてよいものでしょうか。

個人的には、複数階層のボランティアが必要だと感じています。力仕事など、直接的な活動をするボランティア、その食事や休憩場所などを提供する後方支援のボランティア、さらにその補給ルートを確保するボランティア、などなど。これらが一体として活動することにより、強力な行動力を提供できるのではないかと思います。聞けば、いま被災地で活動しているボランティアは、車の中で休み、パンやおにぎり程度の食料しかないといいます。力仕事をし、専門的技能を提供する方々がそれでは、十二分に力を発揮することなど望めません。都市機能が完全な状態であればどうにでもなるのでしょうが、被災地は都市機能が失われている状態にあります。そんな中で、ボランティアに自分自身の完全なケアを求めることなど、到底望めないのではないでしょうか。また、それを備えた人だけが活動できるとするのでは、いったいどれだけの人が活動できるのでしょう。

ボランティアは無償の精神を旨とするものだから、そこに金銭など対価を関わらせるのは御法度、触れてはいけない、というタブー的なものがあるように思います。わたしはそれは間違っており、たとえボランティアであっても、需要と供給のバランスを図らなければ、足りない部分は個人の意思で補うしかなく、余計な力をとられることになり機能不全を起こしてしまうと思っています。無駄を省き、投入したエネルギーをできるだけ多く目的とする活動に反映させること、これは当然のことではないでしょうか。

日本赤十字は被災地への支援を行う団体ですが、ボランティアの統括という事業も行うようにすればいいのにと思います。個人が単独でどうにかできる規模のものではないのですから、受け入れ窓口を一本化し、効率的に行動すべきだと思うのですけれどねえ。

そのような団体をボランティアの精神で立ち上げる人が出てくれば、それが最も望ましいことではありますが…。

選挙カーの騒音

今週末、市議会議員と県議会議員の選挙が行われます。そんなわけで、街中を多数の選挙カーが走り回っております。

それ自体は別に構わないのですが、どの選挙カーも「選挙の際には○○△△の名前を書いてください!」「□□××をよろしくお願いします!」とか、そんな内容ばかり叫んでいて、どうにも中身を感じられません。こちらは名前を知りたいのではなく(でも名前を知らないと誰が言ってるのか分からないか…)、どんな政策なのか、他の人とどこが違うのか、そういうところを知りたいのですけれどねえ。中には、「~を目指します」などと言っているのもあって、そういうところは比較的好感を持てるのですが。

そもそも、選挙カーという、移動しながら言論を伝えるというデバイスに多くを求めてはいけないのかもしれません。だとすると、そんなデバイスを使って言論をすること自体、意味に乏しいものなのではないかという気になってきます。それよりは、ビラ配りなどする方が、多量の情報を伝えることができるので実りあるものであるように感じます。

会社では、「いかにA4一枚で伝えるかなんだ」と教わりました。限られた紙面、限られた分量で、いかに自分の考えを伝えるか。政治家には求められる能力だと思います。民主主義は多数決が基本ですから、考えついた政策を説得力をもって他人に説明しなければならないのですからね。

しかも、この時期になって思い出したかのように頑張って走り始める選挙カー、そのような方々に投票しようとは思いません。

先日、選挙立候補者のポスター一覧を見かけることができたのですが、「無駄な選挙カーは使いません!」と書いている人がいて、好感を持てました。ただ、民主党推薦なんですよね…。民主に与することは国益に反する気がしてならないので、残念ながら、別の候補に投票することになります。残念。

統一地方選挙

わたしが住んでいるところでも、今週末に地方議会の選挙が行われます。そのため、どの候補者に投票するか、決めなければなりません(どこですか、選挙に行かないとか言っているバカ者は)。

が、困るのは、資料に乏しいこと。

千葉県千葉市中央区に住んでいるのですが、付近には候補者一覧がありません。あったとしても、政策なんか書かれていないに等しいので、もともと参考にはならないのですが。イメージで選ぶのは、ちょっとオカシイ人たちがすることです。まず最初に検討すべきは政策であり、この市を、県を、どういう方向に持っていきたいのか、です。

街宣車も役に立ちません。この数日、ひっきりなしに「~をよろしくおねがいいたします」という声を聞きましたが、「わたしは~を~します」という内容だったのは一件しかありませんでした。こっちが聞きたいのは、名前じゃなくて政策なんですが。

極めつけはホームページ。Google様でさえ見つけることが難しいという状況です。候補者氏名一覧は行政のホームページで見つけたのですが、それぞれの候補者のホームページ一覧などはありません。ビラ配りが許されるのならば、ホームページの開設、リンク紹介も問題ないのでは? 自発的にリンクを踏まない限り主張を見ることができないのですから、ビラ配りよりよっぽど合目的的な気がするのですけれど。

こんな状況で、県政を良くします、分かりやすい政治を目指します、と言っているのですから、失笑ものです。かといって、自分が出馬するわけにもいきませんしねえ。

いろいろな思惑が渦巻いて、あるべき姿になっていないのかもしれません。どうすれば正すことができるのか、それとも正してもやっぱり失望するしかないのか。考えると気分が滅入ってしまいます。はあ。